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第22回
・大阪万博EXPO’70の思い出
・(おまけ)おバカ野球軍の熱い夏
・始祖怪鳥テロチルス登場

2021-08-18

始祖怪鳥テロチルス登場

東風力研究所だより(その22)

 1970年代を代表する出来事のビッグ3は、①公害、②オイルショック、③万博だ。
 えらい真面目な答えですね。私はまた、①第2次怪獣ブーム、②中日が巨人のV10を阻止、③「およげ!たいやきくん」大ヒット、かと思ってました。
 デンジ・エンド!
 ぴきっ!
 これだから程度の低い奴と話すのは嫌なのだ。①よど号ハイジャック(1970年3月)、②三島由紀夫自決(同11月)、③浅間山荘事件(1972年2月)ぐらい思いつかないのか。まずは公害についてだが、私たちが小学生のころは光化学スモッグに苦しめられた。よく、体育の授業が中止になったし、酷いときはスズメの群れが飛べなくなっているのを見たこともある。また、父親が仕事で本物のヘドロを持ち帰ったことがあったが、臭くて気絶しそうになった。吐(へど)と泥(どろ)とはよく言ったもんだ。「ゴジラ対ヘドラ」(1971年)や「宇宙猿人ゴリ」(同)のように、子供向けの作品でも公害が取り上げられるほど、社会問題化していたのだ。
 まともな環境基準・排出基準がなかった時代ですから、さぞや公害は酷かったんでしょうね。
 他にも、チクロ(人工甘味料。発がん性の疑いがあり1970年に使用禁止)入りの菓子をむしゃむしゃ食べていたり、赤チン(水銀化合物を含むため、環境汚染防止の観点から2020年に製造禁止)なんかもガンガン使っていた時代だからなあ。次にオイルショック(1973年)だが、ビニールテープを買いに行って、急な値上げでお金が足らず、しょんぼり帰ってきた記憶がある。プラモデルも値上げして、小遣いで手が出せなくなったのもこの時期だ。
 トイレットペーパーが世の中から姿を消したとか。
 公衆便所から無くなったことで、私のまわりでも悲劇があった。野球観戦中に行方不明になった友人が、我々の救助(ペーパー供給)を待って一時間近くトイレに籠っていたことがあった。携帯電話なんかない時代だからな。私の父親も、用を済ませた後にペーパーがないことに気づき、パンツを犠牲にして帰宅したこともあったようだ。

■大阪万博EXPO’70の思い出
「マカロニほうれん荘」(鴨川つばめ)
少年チャンピオン・コミックス第2巻
「ドシャぶりロック」23頁より
マカロニほうれん荘」(鴨川つばめ
少年チャンピオン・コミックス第2巻
ドシャぶりロック」23頁より

 さて、「大阪万博」(正式名称:日本万国博覧会、別称:EXPO’70、開催:1970/3/15~9/13)について語ろう。私は関西に住んでいたから、家族で4、5回は行ったかな。
 どうでしたか。
 そりゃもう、東京ディズニーランドもユニバーサルスタジオもなく、海外旅行なんか夢のまた夢の時代に、あのワールドワイドなイベントだろう。すごい熱気だったことだけは確かだ。その後の「つくば万博」(国際科学技術博覧会、1985年)や「愛・地球博」(2005年日本国際博覧会、2005年)も行ったが、大阪万博は会場の広さや入場者数がそれら博覧会の2、3倍の規模で、比べようもなかった。
 大阪万博の思い出を聞かせて下さい。
 目玉はアメリカ館の「月の石」、ソ連館の「宇宙ロケット展示」、円谷英二が監督し遺作となった三菱未来館「サークロマ映像」などだ。それらの人気パビリオンに入るためには2、3時間待ちが当たり前で、真夏の行列でばたばた・・・・と人が倒れていたことを覚えている。また、太陽の塔の目の中に赤軍派の男が籠城し、夜に目が点灯されていなかったことも記憶している(その後、男は赤軍派と無関係なことが判明 1))。
 教授にとっての大阪万博とは?
 入場料は大卒初任給が39,900円(厚労省調べ)の時代に大人800円 1)だから、令和3年度の初任給213,000円((一財)労務行政研究所調べ)で換算すると4,270円となり、思いのほか高額だったことが分かる。家族4人を頑張って連れて行ってくれた両親に感謝したい。私に科学を信じる心が芽生えたきっかけになったことは間違いないからな。私だけでなく、高度成長期の真っ只中にいた日本人は、動く歩道、ワイヤレス・テレホン、テレビ電話、リニアモーターカーなどの展示に、未来に対する大いなる夢や希望を見たと思う。
 さて、2025年4月に、再び大阪で万博が開催されますが。
 ・・・
 また、言いたいことがあるようですね。
 政治団体のプロパガンダのため開催される博覧会なら興味はない。また、東京オリンピックもそうだが、同じところで同じイベントをするなとだけは言っておきたい。どうせ、前回を超えることなどできやしないのだから。EXPO’70は万博史上初めて195億円の黒字を出した 3)そうなので、納税者の立場からはせめて収支では負けないようにお願いしたい。

大阪万博 会場の全景

万博会場の全景 2):330haの敷地に116のパビリオンが建設された。建設費は524億円 3)

大阪万博 開催中の人出

開催中の人出 3):入場者総数6,422万人、うち外国人約170万人。迷子総数4万8千人、救急車の出動は延べ11,185回に達したそうだ 3)

大阪万博 シンボルゾーン 太陽の塔

シンボルゾーン上空より 2):4,800tの巨大大屋根はわずか6本の支柱で支えられている 2)
太陽の塔 1):制作者は岡本太郎。地下からの高さ67m、片腕の長さ15m。内部にある高さ45mの「生命の樹」には292体の生物模型が展示され、30体はコンピューター制御で動くようになっていた 2)

大阪万博 アメリカ館 月の石

アメリカ館 1):建築史上初のケーブル屋根エアドーム構造。長径142m、短径83.5m。ガラス繊維の屋根を圧縮空気で膨らませていた 3)
:月の石 2):初めて一般公開された。一粒が当時で何億円にも相当した。他にも、アポロ8号着陸船の実物、静かの海のクレーターを再現した大模型や、ベーブルースやタイカップの愛用品なども展示されていた 2)

大阪万博 ソ連館 宇宙開発技術

ソ連館 2):上空より 1):ソ連館は最も多くの入場者があった。高さは110mあり、会場で最も高かった 3)
:宇宙開発技術の展示 2):スプートニク、ソユーズ、ボストークなどの実物や模型が展示された。他には生誕100年にあたる革命の父レーニンや、チャイコフスキーの展示などがあった 2)

左中:手元に残る数少ない万博関連グッズのソ連館切手。
:万博記念切手。切手収集は当時の子供たちの代表的な趣味であった。

大阪万博 日本館 リニアモーターカー

日本館 1):国土の1,000万分の1に相当する広さで、桜の花びらを模した5つの円筒形の建物から構成される。ひとつの展示館は直径58m、高さ27m 3)
リニアモーターカー 2):4号館で一周50mの円軌道を走る。他には、2号館の大鋼壁と大コンビナート模型、3号館のオルゴラマによる「日本の四季」、4号館の原爆被災の苦しみを表す「悲しみの塔」などが展示された 2)

大阪万博 三菱未来館内 ガス・パビリオン

三菱未来館の館内 2):トラベータ―と呼ばれる動く歩道で150m移動する。ホリーミラーという鏡と多面スクリーンを用いた立体スクリーンに映し出される「日本の自然」、「日本の空」、「日本の海」、「日本の陸」の迫力映像を堪能できる 2)
ガス・パビリオン 2):日本瓦斯協会による「笑いの世界」をテーマにしたパビリオン 3)

大阪万博 住友童話館 富士グループパビリオン

住友童話館 1):9つの球体をエスカレーターでつなぐ。童話の名場面を立体的に見せた 1)
富士グループパビリオン 1):合成繊維と合成ゴムで作った大きなチューブを16本膨らませた 1)

大阪万博 スイス館

スイス館 2):「光の木」と呼ばれた巨大なデコレーションツリーと展示場からなる。夜には32,000個もの電飾がきらめいた。日本建築学会・万国博特別賞を受賞した 3)

大阪万博 ダイダラザウルス 動く歩道

ダイダラザウルス 2):5つのコースがあった。当時の乗車料100円 2)。遊園地エキスポランドは2009年まで存続したが、死亡事故の発生により閉園を余儀なくされた。
動く歩道 2):総延長3.35km。4つの出入り口からお祭り広場に向かって放射状に延びる。不慣れなためか、転倒者が続出した 1)2)

大阪万博 閉会式

閉会式 3):9月13日午前10時、6,000人を招いた閉会式で熱狂の183日間は幕を閉じた 3)

出典
1)週刊昭和04 昭和45年」(朝日新聞出版、2008年12月28日発行)
2)中一・中二・中三時代合同臨時増刊 万国博カラーガイド」(旺文社、昭和45年5月1日発行)
3)EXPO’70 パビリオン 大阪万博公式メモリアルガイド
  (監修:橋爪紳也平凡社、2010年11月25日初版第1刷発行)

■(おまけ)おバカ野球軍の熱い夏

 プロ野球は五輪休み中ですが、夏の甲子園が間もなく開催されます。
 うむ、この時期になると、いつもおバカな野球マンガのことを思い出す。私が選ぶ70年代ベスト3は以下の通りだ。

1位:「アストロ球団」 原作:遠崎史朗、作画:中島徳博(1972~1976年、週刊少年ジャンプ連載)
🥎「ロッテオリオンズ」や宿敵「ビクトリー球団」とのたった2試合に、単行本を何巻使うねんと思った。その熱さと仰々しさにはまる。球一の「スカイラブ投法」は小学校で流行した。


2位:「アパッチ野球軍」 原作:花登筺、作画:梅本さちお(1970~1972年、週刊少年キング連載)
🥎「細うで繁盛記花登筺先生原作の野球漫画。私はアニメ(1971~1972年、NET系列)しか知らないが、最終回で「QL学園」(!)が放った大飛球を外野手の「モンキー」がスコアボードによじ登り捕球、審判が「アウト!」と宣言して幕切れというハチャメチャぶり(ルール上はもちろんホームラン)。


3位:「侍ジャイアンツ」 原作:梶原一騎、作画:井上コオ(1971~1974年、週刊少年ジャンプ連載)
🥎東京ムービーのアニメ(1973~1974年、日本テレビ系列)が有名だが、マンガでは主人公の番場蛮が阪神の江夏からデッドボールを受けて大けがしたり、魔球の投げすぎによりマウンド上で投球直後に死ぬという壮絶さ(阪神の大エース江夏は、素行の悪さからマンガでも悪役扱い)。

祝!帰ってきたウルトラマン放送50周年 勝手に記念 ソフビ電動化計画
(No.16 始祖怪鳥テロチルス)

ソフビ電動化計画 「始祖怪鳥テロチルス」
2012年完成

 今回は、ブルマァク製ソフビを使用した「テロチルス」です。オリジナルは小松政夫さんの「しらけ鳥」に見えなくもありませんが、きちんと彩色するとそれらしくなります。
 テロチルスは空を飛ぶ怪獣ですが、まさか実際に飛ばす訳にはいかないので、台車に乗った高速移動で飛翔のイメージを表現しました。地面を移動するだけは面白くないので、腕を振り、嘴を開閉させながら首を左右に振るという動きも行うようにしました。
 台車は、透明ボックス内のタミヤミニモーター標準ギヤボックス 」によりタイヤ走行します。電力は外付けした電池ボックスから得ますが、これとは別に上部に伸ばした2本のバーにも電力は供給されます。テロチルス本体には別に「ユニバーサルギヤボックス」が内蔵されており、このバーから電力を得て腕や首を動かすようになっています。なお、テロチルス本体は、このバーからの取り外しが可能です。
 腕、嘴、首の動きは全て、「ユニバーサルギヤボックス」の3mm出力シャフトに取り付けたクランクアームの回転運動に依るものです。両腕の回転軸は出力シャフトと平行ではなく、硬質なコネクターではクランクピンと接続することができないので、ゴム製の軟質なコネクターを使用しています。また、クランクピンの鉛直移動により嘴の開閉、水平移動により首の左右の動きを行います。台車での移動の良し悪しはともかく、テロチルス本体は生物らしい動きを表現することができたと思います。